先輩ママの友人にも、娘が7ヶ月ころに聞いたことがある。

「いつ、母になったという実感が湧くのだろうか?」と。

 

自分が母になったという実感が、本当になかった。

母という存在が大きかったからだろうか、

自分が人の母になったという事実がまだ信じられなかった。

 

なにしろ若い頃は「やんちゃ」というくらいの言葉で

とどめておきたいくらい、破天荒に生きていた。

「嗜好品」と言われるもののほとんどが、「趣味」のような若者だった。

生活は不規則で、健康についても気にすることもなく

若いままに、生きていたと思う。

自分が女性として機能するのかも、信じれていなかった。

生理も止まったことがあるし、自律神経がおかしくなっていても

気に留めなかった。ただ思うがまま生きていた。

 

そんな自分が

不妊治療に通い、

子どもを産むことができたことは奇跡のようなことだったから。

 

娘が1歳を過ぎた頃、

わたしと目を合わせて、「ママ」と。

世界一、優しい声で呼ばれた時に

「あぁ、わたしは母になったのか」

と実感できたのだ。

 

名前を呼ばれることで、ママと呼ばれることで

わたしはわたしの

母としての存在を「在り」としてもらった気がした。

わたしの居場所を「ここに在り」としてもらえたのだ。

そう、ここにいる。

と。

 

そうやって人は名前を呼ばれて

「ここに在り」と実感できるのかもしれない。

「居場所」と、認めてもらえるのかもしれない。

 

会社でも、家庭でも、学校でも

家族にも、恋人にも、友人でも。

 

誰かに名前を呼ばれて、嫌な気がしないのは

きっと

ここに「わたし」として存在していることを

優しく認めてもらっているように思えるから。

 

「ママ、おはよう。」

そう娘に挨拶してもらえる朝が、

とてもとても、待ち遠しい。